ちょいスピ
久しぶりに新聞に
眼を通してみた。
ここの所新聞記事にはまったく興味が無いって感じで、広告すら見ない日々が続いておった。
毎日ネットでニュース見ているので、活字で読むまでする必要ないとも思っているけど、何故か今朝は見る気に成ったのよね~。
早起きしたから? って8時過ぎてただろがっ
先ずは求人欄には眼を通しておきましたよ。(^o^)
さて、ブログにまで書いておきたい記事が有ったというか、少々その記事が元で考えた事が有ったんで書いちゃろと思います。
その記事とは投稿記事ですね。
小学生の投稿でしたけど、おじいさんが亡くなって悲しんでいる記事で、最後の方に有った言葉で、『星になってね』という文字で締められていた。
これが印象的でその一言でこの子の環境が垣間見えた感じだよね。
ワテ等人間という生き物は、とても精巧な造りになって居る事は御存じの通り。
いずれの生命もその精巧さは特質もので、現在の人類の英知を持ってしても作り出す事は出来ないものですな。
その根本の部分にはDNAという組織回路図みたいなもんが有る訳ですが、何時、どの様にしてこれが生まれたかは判っていない。
そこで、ちょっと考えて欲しいのだけど、ワテ等が物を作る時には、必ず着地を意識してその経路を経て完成を見る訳ですが、今の人間という存在は一体どの位置に存在しているのか?
と考えて見て貰いたいのだけど、どうだろう。
生命として現れている訳だから、元々の着地を意識した経路図的な物があるとしたら。
作られている者そのものは、それを知る事は出来ない。
作られた後で、それを説明してもらわねば判ることは無い。
これは人がロボットを作るのと同じ話である。
作られたロボットの回路に、データを入力して情報を与え、目的を理解させるという話だ。
では、借りに人も同じように作られている段階であり、着地がもうすぐだとしたら情報としてのデータとは何か?
もしかしたらそれが人生経験って事では無いのかと。
つまり、ワテ等は着地に向かって日々の人生経験を積み、経路図に沿って生きているって事では。
そんな事を考えて見たりしましたが、星に成るという話はあながち間違っている話では無いのかも知れないとも言えるのでは?
人の着地はどういう状態なのかという事について、ちょいと真面目に考えて見ましょう。
人の完成形には【死】は無いと思われるのですよ。
つまり、死を繰り返す内は人は不完全体と言う事。
裏を返すと人生というサイクルを必要としなくなった時が【人】の完成形って訳。
判るかな? 言いたい事が。
つまり、日月神示の言う所の半霊半物質という存在に成るのが人の在り方であり、着地であるという事では?
では、だとすると、この地球でしか生きて居られない人とは、一体その様な状態に成った時に何処に住まうのかと考えて見るとどうだろう。
霊体であれば時間は関係無く成る。
又、距離も関係無く成ると思われる。
思考だけで瞬時に移動できるのではないのかとも。
もしかしてこの宇宙のそれぞれの格子点に、【星】という存在が有るのではないのか?
と考えて見たり...
まぁ、適当なワテの考えですがね。
昔見た星間図というものが、人間の血管ラインと似て居たのがどうも気に成っているのだけど、もしかしてやっぱり【人】という存在は、この宇宙の生命を生む存在の現れであり、フラクタルな者なのかもしれまへんな。
まっ、今日の話は詰まらん話になってもーたかも知れまへんけど、こういう話って《夢》が膨らむよねぇ~。
【星】って意識の集合体だよね。
だから型と成って球となって居る訳だ。
それぞれの星の位置に於いて、それぞれが違う星格であり、人で言う人格と同じではないのか。
単にマクロとミクロの差だけだとか....ネ。
ほんでは今日はここでおしまいだすぅ。
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