始まりは一本の電話
おやっ、今朝は雨音が聞こえず、道行く車の音にも雨を感じない。
そう想いながらカーテンを開け外の景色を眺めると、いつも濡れていたコンクリートが乾いている。
今日は何とか雨も降らずにいてくれそうな天気だ事。
外は降らねど、中は大雨といったところか...。
運勢を眺めていると流れという物があることに気がつく。
この6月は正にそういう月の様だ。
先日のドンデン返しの後には、さらなる超ドンテン返しが来ようとは我さえ思いも依らなんだね。
ここ数年で最大の不運と言えよう。
まさかこの様な状況に成るとは...
事の発端は一本の電話。
しかも朝6時過ぎにかかってきた電話。
当然まだ横になっている時間である。
出てみれば実家からの電話。
まぁ高齢の親だから朝が早いのは判るが、せめて時計くらい見てから電話して欲しいもんだね。
まっそれは今に始まったことではないので仕方無いが。
何事かと思い出てみれば、預かり物してるから休みなら取りに来るようにという事だった。
昨日のことなのだけど。
既にこの時点で『いつも』とは違う流れが出来ていたのだろう。
思い切りハマって
しまったわ。
まぁ、もう結果が出てしまった事だから取り返しのつかない事なので、このまま何もしないでおくしかないのだけど。
ここまで『がっかり』させられると疲れも数倍に变化するかな。
あまりの低落ぶりに、実物タロットカードを久しぶりに使って流れを読んで見る気になり、取り出してスリーカード法を使い過去・現在・未来について調べをしてみた。
過去は良いとして、今回のロストについて答えが出てくるかを見たらば、しっかりとその言葉が出てきているではないか。
やはり驚きを以って考えさせられるわい。
どうやらこの先にトンデモな事が起こるらしい。
その前準備としてワテにロストが起こる事に成っているみたいな事が出ている。
いやはや、ふさわしいものを得るために、要らぬものを捨て去る事に成るという意味の様だね。
まぁ、価値観的には強烈なダメージだが、実質的なロストで見れば大した事はないものだ。
でも、内的には大雨状態であるがね。
あぁ~あ、やれやれですなぁ~。
運勢で言うところの『流れ』ってものに、こうまでもしっかり追従しているというか、流されているというか。
これはある意味において、本来自分の進むべき道に乗っかって来ているという事なのかも知れないね。
基本的に周りが何と言おうが、自分が決めた事を安々とは変えない。
そこにはちゃんとした信念というやつを以って向き合っているからだ。
誰が否定しようが、自分が『これで行く』と決めたら、その結果に向かって全力投球していくスタンスは変わらない。
簡単にはブレ無い考えで進んでいるので、周りからは強情だと思われるだろうけど、その都度自分なりの区切りを持ち、最適化をした上で次のステップに進んでいるのだけど、まぁ気がつかないだろうなぁ~。
こちらからそんな事について話す事をするでもなし。
また、その様な会話が出来る環境にも居ないって所だろうからね。
まぁ、今回のロスト体験については、顛末がどうなるか見ていくとしよう。
カードの言うとおり何か始まる事に成るのかどうか...。
それらしい言葉も書かれているが、今はまだ公開出来る所にないって感じなので、またその機会が出来たらば書いていくとしよう。
さて、今週末でシリーズが終わってしまったアニメが有りましたな。
まず、見てないでしょうけど
『RE-KAN!』
『プラスティツクメモリーズ』
『Fate Stay Night 【UBW】』
ですかね。
RE-KANはおもしろおかしく霊能力扱ってますが、霊と言われる存在は居ると思います。
まぁ、できれば認識したくはありませんけど...
プラメは良い創りでしたなぁ~。
最後のシーンは何となく続編を思わせてくれましたが...
プラメのワンシーンをちょこっとだけ載せておきますかね。
是非本編を御覧下さいませ。
次に、Fate Stay Night
これは何度か放映されていたんですね。
見るまでは全く知りませんでしたけど...。
微妙にシーンがアレンジ変えてありますので、それぞれを比べてみるのも良いかも知れないですが、こういうものは初めに見たものがやはりインパクト大きいですので、別アレンジバージョンは見ないという方も多いかも。
OVA等はセーバーについて知ることが出来たりするので、これはこれで見る価値有りとも思いますけどネ。
これですが。
さて、アニメはこれくらいにして、少々先の事について少し書いておきますかな。
自然の営みに於いて近頃異常という言葉を付ける頻度が多くなってきていますが、これを自然の異常という言葉だけで済ませていると乗り遅れる事に繋がる。
何かがおかしいという事は皆気がついている様だけど、これが人間の手による自然破壊の結果と考えている人が殆どではないだろうか。
それは短絡的考えだと思うのだが、人間とて自然の中で生きている者であり、言わば結果物だとも言える。
その様な中で地上世界の動きの中に人という存在はどう写っているのか。物が形になっているという事の関係性はどの様な仕組みか。
人の意思が形を創るのであれば、マクロ的に捉えてみても地球上でしか生きられない我々は地球の創造物でもある。
人が地球を守る...なんて事を言う人も居るが、ナンセンスな話ではなかろうか。
人が生み出すものは既に地球が生んでいるというか、内包している世界のひとつに過ぎない。
その地球が大きく変わろうとしている現在、どこかしこで今までとは違った動きが見られるように成って来ている。
その変化について行けるかどうかが、それぞれの人の生命と繋がっているのではないか。
もっと極端に言えば、人は動かされている。
前なる者に...
物理的に物事の変化点が来ている様に思う。
まぁ、詳しいことは書けないが、これから大きく何かが変わるとすれば、マクロな自然環境が変わってくるだろう。
それを異常気象という言葉でごまかしているが、生命の生育をみれば一つ一つの進化において、環境に適合しないとスイッチが入らないように成っている。
地球という生命体も、何事かの準備が整ったから次々に変化をしているということなのではないか。
そう考えると辻褄が合う様に思えてくるのはなぜ...。
やはり、時期が到来したのではないかな。
日本神話には、こうある。
『時来たらば、共にこの扉(岩戸)を開けん
』というくだりが。
さて、何が起こるのやら、怖さよりも今まで見たこと無い世界が見れそうで楽しみでもあるが、その前に自然の猛威を味わう事に成るだろうから、心しておく必要はあるだろうね。
でも、それこそ成るように成ると思っていれば、良い話。
自分の役割は与えられている環境で精一杯作業しておくことではないかな。
あれこれ難しい事を考えるより、流れに乗って生きている事を実感している事が自然では無いのかな。
◯◯したくない...という考えよりは◯◯したいと考えて行動する事が大事って話。
否定ではなくて肯定で生きる。 こうありたいという願いが創造を生む。
”たくない”という概念は、否定であり破壊であり、生み出すものは無い。
”たくないから”という発展性を以って考えれば、新たな物が生み出される。
前向きに物事を考えるって事が大事って話ですね。
それでは、どん底まで来た感じがするので、そろそろ這い上がる段取りにでも入りましょうかね。
目の前にできてきた自然の供え物。
頂かない訳には生きませんから、喜んで召し上がる様にしまひょ。
心の栄養に成るような物ばかりですので、『血』と『汗』と『涙』が必要です。
それが消化酵素。
それ無しでは栄養は取れませんよ。
しっかり日々の生活の中で、五体を使い、五感を通し、心に栄養を届けていればちゃんと生き抜けます。
これは考えるのではなくて実践すれば判りますので...
まぁ、騙されたと思ってやってみんしゃいな。
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