小学校『プログラム教育』間近だけど
さて、先ずは本年最初の書き込みなので一言。
今年もよろしくお願い申すだよ。
今朝の産経新聞に下記の記事が載ってましたね。
『プログラミング教育、スタートに黄色信号 準備順調7県のみ』
という記事が。
何か小学校から学ばせるという話を聞いたことは有ったのだけど、スケジュール的な物は知らなかったですね。
ナント、今年の4月から始めるとか。
記事を読んでいくと、順調に教育準備の出来ている学校は極僅か。
まぁ、最初にこの話を聞いた時に、『無理でしょ』と思ったのは私だけではあるまい。
そもそもこの事案を想起決定した人達はプログラム作成の経験が有ったのかと思いたく成る。
基本専門学校で教える様な事を義務教育に導入という時点で疑問視するべきだろうに。
そりゃインド・中国の様な国がソフトウェアで世界のトップを走り始めている事に危機感を持ったことは理解出来るが、それを義務教育に落とすかって話だわ。
先日中学生がプログラム言語を作成したというニュースがありましたね。
記事に目をとおしてみましたけど、『難しかったけど面白いからモチベーションを持ち続けられた』と語ってましたね。
そりゃ、そういうものでしょ。
プログラムってーのは料理と同じで、材料という言語を先ずは知っておかねばならん。
そこから何を作るかによって材料をどの様な形にするかとか、さらに考えていく。
まぁ、私もプログラムとなるとN-Basic、N88-Basicなんて初期の言語でしか造った事が無いから偉そうな事は言えないのだけど。
全て独学からでしたけど。
ロータスやエクセルの様なマクロプログラム程度の話ならまだマシなのかも知れませんけどね。
それでもまだ早いというか、一般常識の範疇には入らないと思うが。
このブログ等も文面作成後に装飾系言語(CSS)を少し入れるのだけど、かなり見栄えを変える事が出来る。
そういう意味においてはプログラムというのは自分が心に描いたビジョンを視覚的に見える形にしていく工程だから、ある意味とても楽しいと感じる要素はある。
でも、ここが個人差の出る所であるのだけども。
それが楽しいと感じる事が出来れば、面白い様に知識として入っていく。
趣味の世界...まぁある意味そうかもね。
プログラム教育だけに限らず、英語・道徳の教育も始まると書いてあったけど、この多忙な先生方にこれだけの事を押し付けてしまったら、教育現場はどうなりますかねぇ~。
中学生でも解りそうな話だと思うんですが。
少し話が脱線してしまいますが、英語を学ばせる所についてはこういう話が有るのを御存知でしょうか。
ひつく神事 極めの巻 第03帖 より抜粋
『言葉の裏には虫がついてゐるぞ、英語学ぶと英語の虫に、支那語学ぶと支那語の虫に犯されがちぢゃ。判らねばならんし、中々ながら御苦労して下されよ。』
えっ、どういう事。
となりますかね~、やはり。
簡単に言えば、言葉というのは祝詞。
と言えば少し判って貰えるかもですね。
もう少し具体的に言えばですね、あなたの前に清楚な方が来て、貴方を見て一言こう言いました。
『素敵な髪ですね』
と
では、『汚ならしい髪ですね』
と言われた場合と比較して『何』が動いたでしょうか?
言わずと知れた自身の感情...つまり心が動きましたね。
そういう事です。
見えないものが動くのですよ。(言葉の裏の虫)
それが祝詞と言われるもの。
どこぞの教えに『あの山に向かって貴方が動けと言えば、山は動くのですよ』という下りに近いかも知れませんが、実際結果的に物理世界を動かすことが出来るんですね。
まぁ、私にはそんな知力も念力も無いのでそういう使い方は試すことすらしませんけど。
話を戻すと、プログラムよりも何かを育てる事の方が子供の教育には必要な事なんだと思うけどねぇ~。
食育の方に力を注いで貰いたいわ。
心身ともに健康に育って貰いたいですからねぇ~。
今年から大変な年に成っていく事を見据えて、今から準備しておく必要がありますが、ほとんどの方々はそんな所には目もくれない...。
見えてから動き出すのでしょうけど、それでは間に合わないかも。
衣・食・住、どれが最終的に家族を守れますかね。
真面目に災害被災者に成った状況を描いてみる必要があると思いますけども、現状にだけ目が向いている時には、なかなかですね。
年末にアルバイト頑張ったのだけど、未だに手がジンジンしているわい。
結構頑張りすぎたかなぁ~。
御老体にムチ打ちすぎたかも。
ん~ん、次のバイトは考えねば...
正月三ヶ日、家を空けてたらハウスが大変な事になってたわ。
まさかあの晴天でトマトが煮えるとは...
悲しいかな、全滅でしたね。
気持ちを入れ替えて、昨日から全て撤去作業している所。
唯一残った脇芽を2本だけ挿し木したが、生き残れるか...微妙だわ~。
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