金縛りと幽霊
あれ~、昨日のカウンタが5に成ってるんだけど、来客は無しのはずなんだが...
もしかしてアンタ等見に来てる?
もしもそうだったらゴメンね。 ろくな記事が無くて...
ちょっと変えようと思って居る所で、まだ案がまとまらないので作り変えが出来ませぬ。
HP形式に変えて見るつもりなんだけど...構想中でーす。(^o^)
さて、今日は『ビックリ』体験談に成りますですぞ。
かなり長い文章に成るんで昼間から書いてます。
表題にも有る様に金縛りについて話をしようかと...。
ちょっと季節外れ...と言われそうだが...
えっ? 経験無しって人居るの
あーら羨ましいなぁ~、子供の頃であれは極めて恐怖を覚えるよ。
学生時代は怖くてしょうがなかったけどね。
最悪の体験は、中学生の時経験したんだけど、夜中に人の気配を感じて目が覚めた。
経験有る人は判るよね、目が覚めるんだけど怖くて目を開けられない...。
でも、ちゃんと人の気配は感じているという瞬間...
その日はいつもとは違ったんだねこれが。
いつもと言ってもさすがにしょっちゅうある訳では無いので誤解のない様に。
学生時代は一月に1回有るか無いか程度だっけか...
で、話を戻すと当時は2段ベッドで下が私で妹が上に寝ていた。
ベッドの頭の方から何かが近づいてくるのが判った。
当然体は『死に体』状態。
でも明らかに何者かの気配が近づいてくる...
そして正に頭の上に立ったと思った瞬間、首を絞めて来たんだなこれが。
もちろん目なんて恐怖で開けられたもんじゃないけど。
『何すんだコイツ!!』と思って当時覚えたての金縛り呪縛よけみたいな言葉を心で叫んだ。
当時から『霊』には興味が有ったんでね。
不思議が大好きなんだよね私。 アハハ
で、しばらく悶えていたら絞めを解いてくれたんで、安心したのもつかの間。
ベッドの傍らをその気配が動いて行くのを感じて居ると、両親が寝ている部屋の方へ移動したかと思って居たら、なんと父がうなされ始めた...。
『マジかよ!』って思ったが、やはり意識は有るし感覚もちゃんと機能している。
あきらかな有意識状態で覚醒していると思って居た。
しばらくしてうなされていた父も声を出さなくなった...
という恐怖体験が過去にあるのだが、今でもその時の事は覚えている。
もう一つ覚えている金縛りが有る。
でもこれは何故か恐怖が無い体験だったのだが、ついでに話しておこう。
それは就職して寮に居た時の事。
一部屋に二人の6畳ほどの共同部屋で結構狭い。
同室の者は工場が別で帰りがちょっと遅い事が多かった。
その日も遅かったんで私は先に寝る事にした。
夏だったんで布団はかぶらずに横に置いて寝ていた。
何時だったかは記憶が無いが、しばらくしたらドアが開いた気配で目が覚めた。
でもそのまま寝たふりしていると、同居人が気を効かして布団を掛けてくれた。
そして掛けたあと肩を2回ポンポンと軽めに叩かれた。
『ん~なもん、熱いのに掛けんでくれ』と思いながら隣を見るとだーれも居ない。
『えっ? 誰今の 』という感じで、明らかに人の気配が有り、しかもふとんを掛けるという物理的な変化もちゃんと有ったのだが、誰も居ないのだ。
でも恐怖感は無かった...という不思議な体験もしている。
さて、本題はここからだよ。
私は『霊』の世界にも興味が有って、それこそ『神』、『霊』、『死』という様なキーワードを持った事柄について色々と個人的に考えて一通りの解釈をしている。
今それについて語る事はしないけど、金縛りについては筋肉の意識下の開放という世間の考えについて半信半疑である。
確かに疲れた時に起こる現象だとも思うが、経験者なら判ると思うが金縛りに成る直前ってのは、そうなって行く過程が意識出来るよね。
『あぁ、くるくる金縛り』ってな具合でさ。
半信半疑と言っているのは、全ての金縛りがこの様な体と意識の切り離しによって起こっているという解釈を半分しか信じていないって事。
金縛りに成りやすい状況ってのは確かに有って、眠った姿勢で心臓の上に手を置いていると良く成りやすい。
良く言われているのは胸の上に手を置くと怖い夢を見るという事を聴いたことがある。
逆にお腹だと楽しい夢とか書いて有った様な気もするが。
まぁ、世間の常識は半分しか信じないって事で、残りの半分は経験則を重視するって事。
『霊』の存在で起こる事も有るという風に思って居る。
そこで金縛りに有った時には極力目を開けてまわりの状況を見るようにしているのだ。
そして、先日とうとう有る経験をする事に成った。
これから話す事は事実である。 信じる信じないは貴方の想いに依るとしよう。
一昨日の事だ。
夜中にふと目が覚めた。
もちろん金縛りの兆候を感じての事だ。
するとしっかり体の自由が効かない状態に変化していくのを感じて、ちょっと意識して腕を動かしたりしてもがいてみたがやはり体は動かせなかった。
『しょうが無いか』と思いつつも、霊的作用が有るのであれば、何か正体が見たくて目を開けてみると、なんとベッドの横に透明ゼリーの様な人型の物が立っているのが確認出来た。
でも恐怖心は無いのだ。
とにかくそれが何が知りたい一心で『誰だお前!』って声を出してみるが上手くしゃべれない。
でも『こんちくしょう!』と思って『誰だお前』という言葉がはっきりと言えている自分を意識出来てその人型を見ながら言っている自分を認識していたのだ。
初めてだった。 人型の霊体なのか何なのか判らないが、明らかに何者かがそこに来ていたと感じた。
しばらくして金縛りは解けたが、視覚的に捉える事が出来たのは初めてだった。
何とも不思議な体験をしたと思って居る。
個人的に『人』という存在については、意識の具現化てある。
そう思って居る。
つまり本質は『霊』であるが、完全な『霊』という状態では無く『情動』という意識体という認識である。
例えば、今の記憶という物は『脳』という物理的記憶組織が有るから記憶出来ている訳で、この『脳』が無く成れば記憶情報は消えると思う。
『死』というのが、体の消失であって、霊に戻るだけではあるが、霊そのものも成長していく。
『霊』+『肉体』=『人』というのが私の考え。
人である事は現実世界での喜怒哀楽という感情の情動を経験するのに必要な事であり、教えで理解出来る物では無い。
だから、人という存在は霊の成長に必要不可欠であり、体を通してのみ知りえる事が有り、それを求める物が『霊』としての自分自身という話。
まぁ、プログに書く程度の話なので詳しい事は書けないけど、『生きる』って事は何か意味が有るって事で、その根本は元々の霊としての自分自身であって、霊なりに相応に考えがあっての具現化された自分を生み出している。
だから、宿命とか運命とかという難しい言葉は無くて、ただ自分が信じるままに生きてこそ本来の自分らしさが生まれて行くと考えている。
何も恐れる事は無いと思うし、誰を信じるとかという事も必要ない。
自分が何をどの様に考えて生きるかって事が一番大事なんだ。
信念が有る訳では無いが、漠然とした日々を送りながらでも、ちゃんと時計の針は進んでいる。
時はちゃんと刻まれているから有意識世界では何も起こって居なくても、無意識の自分の計画通りに事が進んでいると思えば、先に不安を抱く事も無く、ただ日々五感で捉えた事をどの様に考え、それを元にどの様に進むか考えた上で行動していれば、自分自身の『華』は開くと思う。
まぁ、何事も一人の力ではどうにもならんとは思うが、自分に嘘をついて生きるのではなくて、満足しながら生きる事が大事。
先の事は判らないのであまり考え無い事だーね。
何とか成っていくものじゃないかな。
自分自身の事ばかり言っているが、生きている物は全て『霊』的存在が先を歩んでいるという事は確かだと思う。
この地球も生きているのだ。 だから生きたものが生まれていると言う事だ。
地上の楽園は今ここにある。 問題はどう見るかだ。
必用な事は『理解』という事なのだと。
生きる事で理解すべき事がある。
それらは全てこの地上で起きている事をちゃんと見ていれば理解出来る様に成って居ると思う。
まぁ、なんだかんだ話していてもしょうが無いんでそろそろ切ろう。
話が飛んでしまったが、『霊』と『体』という認識でいれば、経験というのは仕組まれた道って事でいいのではないかな? (*^。^*)
以上。
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