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2013年6月13日 (木曜日)

スポンジの心

近頃の生徒はどうにも相手に対する優しさや思いやりに掛けている様だ。

何故そうなるのかすら知らない親が多いからそう成って行くのだろうな~。

子どもの心はスポンジなんだよな。

だからその隙間を埋めてやるのが親の『親業』ってやつなんだが。

近頃の親と来たら自分優先で物事考えて、子への愛情の渡し方を知らない。

だから子の心は満たされないまま育ち、スカスカのスポンジになってしまう。

その後で学校がどう頑張ろうが、家庭の中で埋めておくべき空虚を埋めてあげようったって出来るわけが無いのだ。

家庭の中における愛情の掛け方ってのはただ優しいだけではダメで、叱る事が大事なんだが、今時の大人たちは怒る事に依って自分の怒りを子供に押し付けてしまう。

これじゃ子の空虚な心は埋まらない。

家庭の中に愛情があふれて居れば子の心は豊かに成る。

決して物の豊かさでは育たない。

物を与える事は愛情の代償としてはあまりにも足りないのだ。

愛情とは、時に笑顔であり、言葉であり、しぐさであり、スキンシップである。

これらを与えられる環境を親が、家族が作り上げて行く必要がある。

時にはジジバハの協力も必要かもしれんが。

親は無くとも子は育つという意味を知らぬ者も多いだろうが、実の親である必要は全くない。

愛情与えて子にストレスを感じさせない環境を作り上げられる人であれば、全くの他人でも良いのだ。

今時の家庭環境は親の心が満足していないから、その写しが子に出ている。

子は親の鏡であるから子を観れば親の素行の度合いが見て取れる。

言葉は言霊であり、話す事で見えない愛情が伝わるから、気の良い言葉を掛けてあげなければならないのに、ちょっとしたことで自分のストレスを子にぶつけるかのような悪い言葉を放っている。

これでは子の心はスポンジのままなのだ。

満たされない心は『愛』を求めて行動を取る様に成る。

自ら足りないものを求めるようになるのだ。

それはちょうど物質世界で分子が平衡化しようとするのと同じてある。

満たされている子にはそのような現象は出ない。

我が子の心を満たしてあげられる親でいたいものだ。

さて、今日のウォーキングは頑張ったぞ。

二日休んだので軽快に歩けた為ジョギングを増やしたらかなり疲れた。

お陰で日中昼寝までしてしまった...ハハ。

結構だるさがあったけど夕方には回復していたんで、明日も又同じ内容でトライだわさ。

そういえば今日の体重計はウォーキング始めてからの最低値を出してくれたな。

でもそれって水分取らずに汗だくに成るようにして有るいたからだろうな~。

せめてあと500g減ったらここ数年の裁定が出るのだが...

明日はもう少し絞って見るか...危ないかな?

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