スピ Ⅱ
昨日の話の続きと成るかもしれんが、少しまとめておくとしよう。
自分と言う存在に関して考えた事があるかのぅ。
余程悩む様な事が有って生死を考えた事が無い限り、生きている自分という存在を意識する事は無いのではないかと思うが。
人それぞれの考え方だからどれが正しいなんて事は無い。
それぞれが出した答えはそれぞれにとって最善であろうと思うが。
さて、自分って存在はどうなっているのか、という単純な疑問について少し考えてみるとしよう。
先ずは生まれた事に付いて考えると、生まれる事に対して自分の意志が有ったか?
恐らく多くの人は意識して生まれて来たなんて言う人は居ない様に思うが。
何かがやりたくて、あるいはやり直したくてでも良いがね。
これについては宗教的配慮から話を避けるが。
何故、私が私なのかと考えた事があるかのぅ。
良くアニメ等のシーンでは使われているけども、そこで得られる答えは無い様だが。
ワテ等の脳には記憶回路が埋め込まれている。
生後の想い出を考えると、それは【有る】と言えるだろうね。
でも、それって脳内の記憶素子とも言える部分に留められたものであることに代わりは無いと言える。
その情報という物は生きている間だけしか扱えない様にも思えるが、では死んだらこれらの記憶は無くなってしまうのかと聞かれると、【そうでは無い】と言えそうだ。
何故なら脳内に組織として組み入れられているという実態が有るからだ。
だから、霊的世界にそれを生む【元】が存在している事に成る。
現実世界は、必ず【前】なる意志が存在する。
で有るならば、脳組織を形作る意志的ものが有ると言う事に成るのではないのか。
仮に人の姿も既に青写真として霊界に有るとすれば、その中身も全て有るという事だ。
意志有って物が生まれるというのが、この世の原則だとすれば全ての生命と名の付くものは、その実態は霊界に有るという話だ。
こうやって考えて行くとなかなか面白い世界だよなぁ~。 この世ってさ。
あなたはこの世で何をしているのかな?。
楽しんでいる?、苦しんでいる?、悲しんでいる?
ここは言わば楽園なんですよね。
自分の意志が形作る物を生み、それを弾みにして次へ進む。
それはちょうど、真空の宇宙を飛ぶロケットと同じで、自分の放出したものを足ががりにして前に進んでいるって事だ。
この世のルールは自然界から学ぶべし。
逆らうと元に戻す力が働くってことだね。
それを力ずくでやろうとすると、より大きな力で引き戻されるって事だわさ。
それでもやり続ければ最後はどうなるのか...。
その答えは稲妻に有る様に思う。
天空の電界が限界に達すると、初めは天空で光輝いてますが、やがては地上に降りてそのエネルギーを解き放つって事ですかな。
これ、岩戸明けのあの世とこの世の扉を開く事と同じ様にも映りますが...
なーんて話をして見ましたよ。
詰まんない話に突き合わせてもーたね。
細かく書けなかったんでまとまらん話になってもーたな。
では又。
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