シュレディンガーの猫?
さて、色々と思う所有ってじっくり考えてる余裕が無く成ってた関係で伸ばしてた記事
『シュレディンガーの猫』
について思うことを書きなぐってみようかいな。
このシュレディンガーの猫(シュレ-ディンガーの猫が正解)についてであるが、詳細は他のサイトにお任せするとして、簡単に言うと、
箱と猫を用意して、箱の中に猫を入れて皆に問う。
さて猫は生きてるか死んでるか
この質問に対して帰ってくる答えは当然2つのいずれか
ってな事に成りますが、正解率ってーのは五分五分。
両方の答えは仮定のみ成立するが、現実を見ないことにはわからん
って事さね。
つまり、人が認識した段階で物事は決定されるって話に成るんですが、ここから先は自論の領域に入っていくので無視してくんなはい。
仮想と現実、いわゆるバーチャルとリアルの関係なのだけど、仮想空間にあるものは無限大。
思考世界なのだから当然と言えば当然。
そこは空想世界であり、思考出来るもの全てがこの宇宙空間に存在するって事なわけ。
ここで言う所の宇宙空間ってーのは視覚化出来ているものだけではなくて、見えないが存在しているもの。
つまりは人間の可視聴範囲のみに限らずって事だわな。
さて、我々の脳みそってーのは実態物質のみで出来ている様に見えているが、実はそうではない
と考えている。
実態が考え出す事は全て可能な事と思ってくりゃさんせ。
現実は思考の具現化って事なんす。
えっ、訳わからん...ですか。
まっ、えぇーです。
話を進めます。
宇宙ってーのはスケールデカ過ぎてわからん世界なんですが、あの星ひとつひとつは視覚化出来てるわけで、これらは現実世界に具現化されている物たちっすね。
ほいじゃ、この具現化の前に思考としての空間に存在した時期がある訳なんですが、一体それは誰が思考したのでしょうか
って話に繋がって行くわけで...
そうするとこれ又仮想空想の領域で『神様』ってーのが思考の中で生まれる訳なんですがね。
この神様は何処まで何が出来るのか
と考えると、その思考は人間世界の思考領域内の話で終わり、その領域外の所までは考え出せないって事なんよ。
つまり、『絶対神』の唯一無二の存在なんて考えた所でわかりゃせんってことなんですな。
世間様の宗教なんてもんは人間がウヌの欲の為に生み出した空想世界って話。
ここで言う欲とは『好み
』って話っす。
かなり端折って話したんで何のこっちゃねんと思われるでしょーが、気にせんでちょ。
自分の人生、生きる上で何を目的として生きているかとか、何のために生きているかとか、何がしたくて具現化の世界に現出したのかとか
色々と考えてみると面白いですよねぇ~。
そういう観点から見ると現在放映されてる
『ReCreators』は面白いですね。
えっ、それが言いたかったんかいなってか
いやいやそうではないですよ。
自分探しをまだ続けてるだけなんですよね。
自分は何者なのか
何の目的で現実世界に具現化したのか
これをじっくり考えてみると、これ又『神』って言葉にたどり着くわけよ。
日本の神様ってーのが、神の本質は『歓喜』と言ってるんっすが、この『歓喜』ってーのが又簡単な言葉でありながら難しいんですわ。
話がちょいと脱線しますが、『善と悪』と言えば相対するものとお考えでしょうか。
これ、一本の線を引いて右半分を善と言い、左半分を悪と言う
なんて単純じゃないっす。
人間ひとりひとり価値観が違いますんで、この境目しきい値ってもんは皆違うんですな。
デジックに捉えると2つ
でありながらアナログで捉えると最低でも人間の数だけしきい値が有るって事です。
おやおや、さらに脱線して来たような...。
ほいじゃもっと脱線して、パソコン世界はデジタル世界。
有るものは【1】と【0】の2つ。
この組み合わせから成り立っている。
この2つを4桁にして組み合わせると4ビットと言って、16種類の組み合わせが出来る。
8桁にすると256種類と成るわけね。
ほんでもって、光の三原色と言われてる『赤(Red)』『緑(Green)』『青(Blue)』(俗称RGB)ってもんもこの組み合わせで、それぞれの色を256種類ずつ変えてパソコン画面は打ち出している訳よ。
それが最近のTVに成ると4kだの8kだのと言ってるが、ありゃ凄いことで画面の横軸に4096個の粒があり、縦軸の2160個の粒が有るわけ。(4kの場合)
このひと粒に対してさっきの信号の256段階のいずれかの色をそれぞれが出して映像化してるのよね。
8kなんてその4倍だよ。 アハハ思考出来んな。
人の目にアナログ感覚を生むには30コマ/秒程度の変化を出しゃ良いので画面の情報は実は毎秒30回近く書き換えられているのよね~。
あくまでざっくり話してますが。
何が言いたいねんって、つまりこのデジタルという2つのあり方の組み合わせを使うことで、画面上のバーチャルが生み出されている訳です。
それはあくまで映像という実態でありますが、一粒づつを見ていくと決められた範囲で変化しているものの連続性にすぎない
って事ですな。
この状態を今度は人間世界に当てはめていきます。
人間という一粒の実態の変化は何に依って決まっているか。
それは、肉体を形成している分子。
でもってその構造物の70%は水分。
(この70%と言うのは年齢で変わる)
カラダの創りは元素からであると言うのは皆理解している所。
では、そこに在るという状態から移動という動作...つまり変化というエネルギーは何かという事について考えていくと、石ころの様にそこにずぅ~っと在る訳じゃないですから何か変化しているエネルギーが在る訳ですね。
行動パターンを形成しているものは個人の意識、思考となります。
ほんで、この思考にも元となる変化している大本が在るわけでして。
ではでは、この思考を創り出しているのは一応自分自身としておきましょう。
この思考した動きの結果を我々は自分自身が享受しているわけで、その結果を『歓喜』として受け取れているか
という事に繋がって行くわけですね。
あぁ~、なんとか元に繋がってくる話に成った様な...
えぇーと、10番線程度の脱線が有った感じの話に成りましたが、人という自分自身の存在について、どのように考えるかというのが自分の探求テーマみたいなもんでして。
それを求めて色々な事をやってみてるわけですね。
って、大した事してないのですが...
心から『あぁ~こりゃ楽しいなぁ~
』なんて『歓喜』出来るものにまだ辿り着いていないので、自分は何をしている時が一番の『歓喜』たるものに繋がるか
を探して止まないって事ですな。
まだまだ『義務』的な要素が大きくて、楽しく生きるなんて当分出来そうにないなぁ~
やれやれ、随分と話を端折ってしまっているが、その探求の流れの一つの手段としてアニメを良く見ているわけですよ。
だから皆が『良いアニメ』という様な評判は気にせず、先ずはOPやEDをyoutubeで聴いて、何となく『リズムが好みだ』なんて思えたら本編を見てみようみたいなノリですね。
物事には『調和』という物がありましてな。
著者や作者の思考の結果で作品が出来上がる。
このあたりは『SIROBAKO』というアニメを見ればよく解るところでしょうけど。
大方この調和の取れた作品ってーのは本編に限らずOPやEDにも恵まれている作品が多いと思っているのですが、個人的にはこの調和しているアニメが心地よいアニメと成っておりんす。
当然『リズム』という自分の波長にあう物と成るわけで、個人差は生まれる訳ですがね。
さて、生きる上で仕事をしているのですが、それが楽しくないと成ればどうでしょう。
『歓喜』ってーのは最終章ではないかと思うんですね。
物事の結果としてどうか
という事でして、そこに至る道程は歓喜ではない。
でもって、今が苦しいのならその先に在るものを得る為に自分を改善しているのではないかと思う訳。
いわゆる試練ってヤツですかな。
まぁ、この試練との結びつきを考える時に占術を用いる訳ですな。
ほほう、こうやって紐解いていくとワテの好みが見えてきますな。さて、話は飛んでしまいましたが、最初に言ってた思考世界の具現化の現実を生きる上で、納得出来ない事が山ほど在るわけです。
その納得できない状態で物事を進めても面白くも何とも無い。
ほいじゃ、面白く楽しくするためにはどうしたら良いか
と成る訳よ。
何故そうなっているのかを知る事が出来れば苦痛は和らぐんですよね。
まぁ、そういう人生体験を納得しながら生きていく事が出来れば、生きることに対しても前向きに考えて生きられそうな気がしますよね~。
シュレディンガーは量子の世界の話でして、この量子世界に興味が湧いたのは対極同士が一つを形成している事
どういうエネルギーが働いていると、この全く逆向きのような関係性を一つに出来るものなのか。
これは感情の世界でも言えることで、楽しくない世界の対極は楽しい世界となりますわな。
この片方を持ち合わせているのであれば、この2つを統べるものを持てばここにない対局を形成出来る訳ですよ。
何となく判りましたか?
ワテが探しているこの『統べる力』こそが求めて止まない真実って事です。
ぜ~んぜん纏まりのない話になってもーたですが、まぁここは個人的ブログ。
今の考えや気持ちを文字化して再認識する所と思えばそれも有り...かな。
やぁ~、何とか終われそうな話に成りましたわ。
一時はどうなるものかと...
これにて本日のブログ、おわりぃ~。
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