ゆとりの時間に
勤め始めて2週間が過ぎましたのぅ。
あれよあれよと言う間に、時間だけがどんどん過ぎて行ってもーた様にも思えるなぁ~。
こんな早く時間が過ぎて行き様ものなら、思いついた事や考えてる事ってどんどん試してやって見るべきとちゃうんやろか。
そうせんと、あの時やっておけばなんて言葉が、後々出て来そうな気がするわ。
意のままに生きて居る事の方が、後悔が無い様にも思えるなぁ。
時間を見てとか、余裕が有る時にとか言ってる場合とちゃう様な気にも成るわ。
昨日のタロット衝撃がまだ残っている感じなんやけど、冷静に成って考えると何であんなカードで心が読めるんやろと考えてる所や。
元々占星術ってもんにハマったんが、二十歳くらいの時くらいやねんけど、占星術ってもんはそれぞれ物理的に天体の位置が変わるよて、太陽系の引力バランスってもんがちょっとずつ変わるっちゅー変化が見てとれるし、相応にその影響ってもんが、それぞれの位置的に見て影響すると思えるんで、因果関係が有るかもな~って思えるんやけど。
このタロットちゅーもんはカードの色、形、大きさ、って結構バラバラなんやけど、昨日の場合どのタイプでも結構良いとこ突いてた気がする。
これがカードの絵柄が持つ波長ってもんとシンクロするのであれば、人もある種の波長を出しているとも思えるし、でもそれって現在の波長は出るけどもや、何で未来が判るのかって疑問が湧いて来る。
仮にや、川みたいに水が高き所より低き所へ流れる様に、物事にも流れっちゅーもんがあるんやないんかぁ。
それを仮に運河[運命の河]と呼ぶとしよう。
その運河って何処が源流かと言えば、神界が大元なんやろうな。
だから、人の世の始まりから終わりまでを見通す事が出来て、聖書に有る様な人世の終わりについて語る事が出来たんちゃうやろか。
それとも、シナリオ描いたもんが何処かに居るという事やったら、目的は何やという話にもなるなぁ。
そんな話やったら、その演目の中で生きているワテ等は俳優で、それぞれが演目の役目を果たしているに過ぎないって事にもなるなぁ~。
セリフや出番は運河に書いて有るって事やがな。
[アカシックレコード?]
それ見て(流れてくる?)それぞれがいろんな場所で演目を披露して、それを誰かが見ているって訳や。
それってオモロイなぁ。
ギリシャ神話みたいな世界観が広がっていそうやわ。
それやったら、何も悩む事なんか無いやんか。
それぞれの心がそれを捉える事が出来ているんやったら、自分の意志の赴くままが波長の変化やと思って、素直に生きていれば良いんとちゃうんか。
そんで、その演技の中で感じた事、体験した事がそれぞれの配役の取り分だとしたらどうやねん。
それも初めから配役は自主的に手を挙げて自分で決めていたとすれば。
そんだけの長い長い人の世のストーリーやから、覚えろってもんが無理やわな。
だから覚えんでもエェー様に成っているとしたら。
自分等は人というアンドロイドに乗って、運河の流れに身を任せた船頭はんとちゃうやろか。
ぬぁ~んて思って行くと『何でワテはこんな配役選んだんやろ』って思ったりもする時があってもえぇんとちゃいますか。
そこで愚痴言うんや無くて、何が目的なんやろとか、この体験から何を得ると思えばえぇーんやろとか。
学習星、【地球】でワテ等はそれぞれの立場で生きている。
その人生体験で個性が出来て行くのであれば、たった一度の人生では到底人格形成は出来へんやろ。
人も男と女がおるし、生き物としてみれば、動物虫けらまでおるのやから。
生命を持つすべての物に一度は成っているとすれば、これ又オモロイ事が言えそうやわな。
人目線で犬に成ったり、人目線で狼に成ったり、魚に成ったりとか。
空想世界は広がりを持つなぁ~。
色んな考えや発想が生まれる。
目の前に落ちている石ころ一つとっても、『何でお前は石ころなんや』とか『何で此処に落ちているんや
』、『ここで何してるんや
』とか。
それぞれの存在にも意義が有る事に気付くのではないやろうか。
昔の日本人は、それぞれの【物】について『感謝』の念を持ってたんや。
だから、どんな物にも手を合わせ感謝の言葉が出るんやな。
そんな人種に今成っている事に感謝やな。
日本人で良かったなぁ~。
くつろぐ時間とゆとりがあれば、時にはこういう事も考えてみては如何かな。
ワテ等は何処かへ行くとき、そこがどういう所か調べてから行ったり、どういう所か知った事で行ってみたくなったりするもんや。
さて、この世に出て来た理由は何やろか。
心に意志を持って生きていられるんやから、体を持つ前にも意志は有ったと思っても不思議では無い様な気もするな。
だとしたら、ここで生きる事にどんな意味が有って生きているんやろうか。
漠然と生きているだけじゃ詰まらん人生だと思わへんか。
一つの出来事、体験、それぞれが大事な何かを意味しているとしたら、日々の出会いもそれ相応に意味を成しているだろうし、考え得るミクロな世界は知り得る必要が有るから意識下におけるとすれば、限りなくミクロな世界からマクロな世界までが全て必要な素材であり、ツールであり、地上のあらゆるものが師であるのかも知れないですね。
まぁ、きょうはのんびりする時間が有ったんで、少しばかり壮大なスケールで物事を結び付けて考えて見たストーリーを話してみたよ~。
ほんでは、最後にお勧めアニメのOP/EDを聴いていただこう。
って関係あらへんがなっ
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