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2014年5月 1日 (木曜日)

何気ない日でも

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5月だねぇ~。

今年も1/3が過ぎた。

一応就労3ヶ月終了。

あと3ヶ月は休めないし、働かないと有休が付かないのだ。

ん~ん、今更ながら有休のありがたさが染みる。 ほっほっ。

そう言う意味においても体調管理はしっかりとせなね。

さて、山に目を向けるとカリフラワーsign02がいっぱぁーーーい。happy01

あっ、カリフラワーじゃ無くてコウジの木の花ですかな。

白っぽい所がチラホラ見えていて、何ともアジがあります。

毎日の通勤路ですが、色んな所に目を向けながら走っていると、少しずつ変化している野山の伊吹を感じる事が出来ます。

何かが変わっているはずなんですが、なかなか自分の日常ではそれを感じる事は少ないですね~。

時には同じ事の繰り返しの様に思える事も多々あります。

でも、見えない所で変化が有るんですよね~。

その変化も色々あって、草花は土の上に顔をだし花咲かせ種残し消えていく。

それが一つのサイクル。

木は緑葉を付け花咲かせ実を成し、一皮付けて行く。

では、人様はどうなっているのでしょうか。

ちょっと興味が湧きますよね。

骨がそのままの型で太く成るだけ?

肉が組織を増やすだけ?

木は切る事でそこに年輪という名の生きた証を創っている。

人の生きた証はどの様にすれば判るのだろうか。

それはきっと生きている内は判らないのではないでしょうか。

色々な場面で活かされる判断も、生きている中で経験した事によってされているので、それでも判るには判る。

それでは、何も感じずに毎日を同じように過ごしていると、そこに生きた証しと成る様なものは創られているのでしょうか。

だから、私は思うんですよ。

一つ一つの出来事や、変化として認識した時には何故こうなったのかとかね。

当たり前に捉えてしまうと何も疑問を持たない。

それじやダメで常に疑問符を以って見る様にする。

自分を何時も変化させる事が出来る様にしていく事が大事だよね。

逆にいつもと違う所に目をつけるのも良いと思う。

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走り慣れた道。

道端の学生たちも同じだったりするけど、すれ違う場所、同行の友人の数、歩行の順番とかね。

一人で歩いてる子、三人連れ、親子、兄弟らしき二人連れ等々。

意外と気にしているもんだよ。

いつもはこの子が先を歩いているのに今日は逆だと、寝坊でもしたかなとか考えたり。

大きなお世話だけどね。coldsweats01

まぁ、そんな気でいると、いつもの風景にも小さな変化がたくさんあるんだわ。

そんな事考えたりしないですかな。

そうそう、横川町を抜ける時思うんだけど、結構横断歩道を渡り終えておじぎする子が多いと思うんだよね。

自分は良くそういうシーンに出会うわ。

小学生・中学生いずれにも居るんだよなぁ~。good

良い子に育ってくれる事でしょう。

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