何気ない日でも
5月だねぇ~。
今年も1/3が過ぎた。
一応就労3ヶ月終了。
あと3ヶ月は休めないし、働かないと有休が付かないのだ。
ん~ん、今更ながら有休のありがたさが染みる。 ほっほっ。
そう言う意味においても体調管理はしっかりとせなね。
さて、山に目を向けるとカリフラワーがいっぱぁーーーい。
あっ、カリフラワーじゃ無くてコウジの木の花ですかな。
白っぽい所がチラホラ見えていて、何ともアジがあります。
毎日の通勤路ですが、色んな所に目を向けながら走っていると、少しずつ変化している野山の伊吹を感じる事が出来ます。
何かが変わっているはずなんですが、なかなか自分の日常ではそれを感じる事は少ないですね~。
時には同じ事の繰り返しの様に思える事も多々あります。
でも、見えない所で変化が有るんですよね~。
その変化も色々あって、草花は土の上に顔をだし花咲かせ種残し消えていく。
それが一つのサイクル。
木は緑葉を付け花咲かせ実を成し、一皮付けて行く。
では、人様はどうなっているのでしょうか。
ちょっと興味が湧きますよね。
骨がそのままの型で太く成るだけ?
肉が組織を増やすだけ?
木は切る事でそこに年輪という名の生きた証を創っている。
人の生きた証はどの様にすれば判るのだろうか。
それはきっと生きている内は判らないのではないでしょうか。
色々な場面で活かされる判断も、生きている中で経験した事によってされているので、それでも判るには判る。
それでは、何も感じずに毎日を同じように過ごしていると、そこに生きた証しと成る様なものは創られているのでしょうか。
だから、私は思うんですよ。
一つ一つの出来事や、変化として認識した時には『何故こうなったのか』とかね。
当たり前に捉えてしまうと何も疑問を持たない。
それじやダメで常に疑問符を以って見る様にする。
自分を何時も変化させる事が出来る様にしていく事が大事だよね。
逆にいつもと違う所に目をつけるのも良いと思う。
走り慣れた道。
道端の学生たちも同じだったりするけど、すれ違う場所、同行の友人の数、歩行の順番とかね。
一人で歩いてる子、三人連れ、親子、兄弟らしき二人連れ等々。
意外と気にしているもんだよ。
いつもはこの子が先を歩いているのに今日は逆だと、寝坊でもしたかなとか考えたり。
大きなお世話だけどね。
まぁ、そんな気でいると、いつもの風景にも小さな変化がたくさんあるんだわ。
そんな事考えたりしないですかな。
そうそう、横川町を抜ける時思うんだけど、結構横断歩道を渡り終えておじぎする子が多いと思うんだよね。
自分は良くそういうシーンに出会うわ。
小学生・中学生いずれにも居るんだよなぁ~。
良い子に育ってくれる事でしょう。
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