昨日の続きだが...
さて、昨日の続きを書いていこう。
【生きる】って話が結果的には、意味や目的を必要とはしないで、ただひたすら日々の与えられた環境で、精いっぱい活動すれば良いみたいな感じで、人生終わってみなけりゃ判らん。
という話だった様な。
では、人生が終わるという【死】について考えをまとめてみようか。
臨死体験という言葉を知っているだろうか。
一時的に【死】を体験しておきながら、復活するようなものだが。
肉体的には仮死の状態となっており、魂抜けが発生している状態になっちゃった...みたいな。
その魂ってもんが自分自身の思考体の様だが、実は思考体というより感情体と言った方が良い様にも思うが。
まぁ、何と呼ぶかは個人の認識に任せるとしてだ。
臨死体験については、こちらに良い記事があるので、興味があったらば読んでもらいたい。
こちら。 [ちなみに第四話まであるので是非最後まで]
身体と意識は別の存在で在りながら、通常は一体化している。
これが生きている状態だ。
さて、肉体から魂が離れて行くことで、肉体はその活動を止める。
ここで少し考えてもらいたいが、自分自身で心臓を動かしている訳ではないということ。
呼吸に関しても自分の意思のもとで動かしている訳ではないですね。
これらは勝手に動いていると思えますが、その活動の源であるエネルギーは自分自身が食事を摂る事で製造している栄養源。
勝手にというより、無意識に動かしていると言った方が良いかな。
無意識とは、考えて制御している訳ではなく、ある種決まったリズムとして脈動する【生】としての機能的肉体の常態行動。
と言えば解りやすいか...
でありながら、心臓は何かにシンクロしていると思っているのですが。
まぁ、これはちょっと別の話に成りそうなので端折ります。(^_^;)
さて、【死】上記の臨死体験者の話を見ていくと、実体化している現世の自分自身を眺めているもう一人の自分が居る事が判ります。
この話からすると、肉体と魂は別のものである事が判ります。
通常は一体化しているが、【死】を迎えると別々の存在と成り、肉体は現世に腐ちていき、魂は別のところへ向かうらしい。
その行き先はというと...
ふふふ、ここから先は個人的な視点で捉えて頂きたい。
幾つもの臨死体験話がありますんで、ひとつの話だけで決めつけるのも嫌ですから、他の体験談も探して読んでみてくださいませ。
個人的な考えを少しは入れておきましょう。
この体験者は意識体で宇宙空間まで飛び出していますね。
そして、時間が喪失した環境で、現在過去未来をビジョンで捉えることが出来、いずれの状態にも瞬間的に移動出来たみたいな話に成ってました。
ここで、ちょっと考えてみたいことがあります。
【天国】という言葉を真剣に考えたことがありますか。
その様な空間は果たしてあるのか無いのか。
もちろん【地獄】という言葉が対比語として出てきますが、この臨死体験からすると地球という星は、実は【天国と地獄】とが一つに成った所と思えますが、いかがですか。
神様の言葉を記したある書物が有りますが、そこには『この世は全てを与えてある天国』と言ってます。
まぁ、言うなればこの世は五感でイメージしたものは現実化出来る空間であり、想像は物質化の始まりである。
とも言えます。
天国とは、お花が咲き乱れ住まう皆が笑顔で微笑ましく、美しい世界...みたいな感じを持ってる方が多いかと思いますが、本来の天国という意味は、もしかしたら想像する世界を現実に体現出来る世界の事で、理想(イメージ化出来る)の現実化世界が天国なのでは...
とも思えたりもします。
まぁ、これは私の私見ですがね。
まっ、死んだら判るでしょう。 焦らず臨終を待つとしましょう。
答えははその時で良いですわ。
これから先の世界では、半霊半物質の人が現れるらしいですけど、これってそのまんま肉体と魂と言う言葉に置き換え出来るのではないかとも思います。
ただ、意識的にいずれかの常態に变化出来るのではないかと...
霊体化すると時間的拘束は無くなりますので、永遠というキーワードも見えてきます。
まぁ、何とも想像を超えた世界に成って行くのか、面白そうですなぁ~。
てな訳で、ちょいと取り留めのない話になりんした。
では、最後にお口直しにひとつ動画を入れましょう。
短編ですが...
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